最近足が弱い若者が多くなったと思います。
愛媛県松山市を中心に、小学生から、80代の方まで整体させて頂いているのですが、世代が若くなるにしたがって骨が細く、軽くなっている気がします。
戦後以前の方々のお身体はやっぱり違います。
身体の違い
何が違うかというと、物理的な重さもさることながら、ズシっとしていて、中身が詰まっている感じと申しましょうか、生き様というか、その方々の深く背負ってきた尊い人生を感じさせられます。
戦中戦後期を経験されてきた方々は、皆、私には言葉にすること自体憚られるようなご苦労をされてきて、お一人お一人が、数奇な人生を生きて来られたことを肌で感じさせられます。これは戦後の方々からはここまでの気迫は感じられません。
★この足の変容は、生活スタイルの変化が大きいと思われます。
「子供が歩かなくなったこと」が一番ではないでしょうか?
車社会になったこと、便利になったことももちろんですが、
1、「核家族化による住居の狭小化」と、
2、「親の過保護」
が関係していると思います。
【核家族化による住居の狭小化】
住まいが狭いと赤ちゃんがハイハイする際にすぐ壁に突き当たってしまうので、自然と壁の棚や机にしがみつき、立ち上がろうとしてしまいます。
最近は何事も早くできることが、優秀と認められ、喜ばれる傾向にありますので、親心として、「うゎ~もう立つことができるようになったね!」と喜んでしまいます。
中には、「早く歩け」と言わんばかりに、手を貸して歩かせたり、サークルの歩行器に入れて歩かせようと頑張る親御さんもいらっしゃいます。(目を離しても大丈夫ですしね)
しかし、赤ちゃんの場合は、早く立ち上がることは決していいこととは言えません。
実際「ハイハイ」や「ほふく前進」をやって頂けたら分かるかと思いますが、歩くよりよっぽどしんどいですよね。
赤ちゃんはハイハイしながら、全身の機能を育てているようです。
腕を使って上半身を大きく反らして特に心肺機能を鍛えています。
よく死亡の判断をする際に、「心肺停止」と言われます。
赤ちゃんの時のハイハイの期間の長さが、「これから一生の生きる根源を育んでいる」「一生の心肺機能の土台をつくっている」と言っても過言ではないでしょうか?
【親の過保護問題】
子供の心身を育むうえで次に大切になってくるのが、「歩けるようになってから」です。
何が問題かというと・・「歩かせない」のです。
子供は歩くことができた時の一番の娯楽は「歩くこと」です。大人にとって歩くことは日常なので共感しにくいですが、「ただただ歩けることが楽しい。」
この時期にどれだけ「歩くことを楽しめたか」がその後の「歩くこと」へのポジティブなイメージづくりに繋がります。
ところが、親が様々な形で歩くことを制限します。
どういうことかというと、「そこは危ない」「そこはダメ」
と大人の都合やタイミングで本人の歩くチャンスをたくさん奪ってしまうのです。移動手段はもっぱら車かベビーカーです。
するとどうでしょう??
赤ちゃんとって、「歩くこと」が、だんだん「良くないこと」「注意されること」と刷り込みができてしまいます。
そして認知能力がついていよいよ
活動的になりたいときには、
「歩くこと」=「疲れること」
という悲しいイメージになってしまっています。
「そこは危ない」
なら危なくないところに連れて行ってみましょう。
「そこはダメ」
なのは大人の目線でモノが配置させているからです。
言葉が理解できない赤ちゃんに合わせたモノの配置や環境にして差し上げたらいかがでしょうか??
足と姿勢と食べ物を変えて、未来を変えていきましょう!!